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手島勲矢先生

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手島勲矢先生
東欧と西欧のユダヤ学を統合したユダヤ百科事典の決定版

2006年、「Encyclopaedia Judaica 第2版」が発売される。
この出来事は、ユダヤ学研究史から眺める私にとって、感慨深い出来事である。
一つの時代の節目を感じてならない。
そもそも、ユダヤ百科事典という発想は、19世紀に誕生したユダヤ学の発生を抜きには語れない。
ヨーロッパ近代化の過程で、
ユダヤ人は、自分の隣人であるキリスト教徒に
自分の存在を冷静に理解してほしいという願いを持つと同時に、
ユダヤ人自身も近代社会に自分を適応させるために、
ユダヤ・アイデンティティの再定義を必要とした。

そこで、ユダヤ人は自らの歴史と宗教について歴史的な研究を行い
偏見のないユダヤ認識(ユダヤ学)を確立しようとしたのである。
いわば、その200年近いユダヤ学研究の結実が、
1971-1972年に発表された「Encyclopaedia Judaica」(ケテル社版)であり、
また、その後完成したヘブライ語の総合百科辞典
「Ha’entsiklopedyah Ha’ivrit」(1949-1985年)なのである。

しかし、ユダヤ百科辞典の嚆矢は「The Jewish Encyclopedia」(1901-1905年)であろう。
現在でも、この辞典の多くの項目は、その価値を失っていない。
そして、これを契機に、様々なユダヤ百科事典が出版された。
その一つが、ヘブライ語によるユダヤ百科辞典「Otsar Yisrael」(1907-1913年)である。
伝統的なユダヤ人のための百科事典をめざし、
「The Jewish Encyclopedia」では無視された多くのユダヤ人の関心事が収録された。
またロシアでは、歴史学者ドゥブノフが一部編集を手がけた
ロシア語ユダヤ百科事典「Evreiskaia Entsiklopediia」(1908-1913年)が、
ドイツでは、ブーバーらの文化シオニストたちの影響を受けて編集された
「Jüdisches Lexikon」(1927-1930年)が出版された。
アメリカでも改革派の意見を反映した
「The Universal Jewish Encyclopedia」 (1939-1943年)が発表された。
また資料価値の高い「Yiddishe Folks-Entsiklopedye」他、枚挙すれば限りが無い。

ただ、歴史学としてのユダヤ学の水準を問うならば、
西欧よりも東欧の方が研究において高く深い。
その意味で、1923年、ロシア出身のJakob Klatzkin(ユダヤ思想研究)と
Nahum Goldmann が共同してドイツで立ち上げた「Encyclopaedia Judaica」(Eshkol) の計画は、
東欧のユダヤ学と西欧のユダヤ学の知的統合・整理を行おうとした点で決定的な計画である。
1932年までにドイツ語で9巻までが発表され、
ヘブライ語版も2巻までが発表されたが、
ナチ当局の手が及んだためにJakob Klatzkinはスイスに逃げ、
その時点で、この計画は頓挫する。
戦後、再びNahum Goldmann は、Klatzkin亡き後も百科事典の完成に努め、
1971年、二人の志は「Encyclopaedia Judaica」(ケテル社版) として新しい内容で完成された。

「Encyclopaedia Judaica第2版」の発表は、
ユダヤ学の価値向上において、また近代ユダヤ精神のコンプレックス(複雑さ)を表現するにおいて、
一つの節目になると期待される。



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